読書【グレイヘアと生きる 近藤サト著】
「なぜ私は白髪を染めているのだろう?」
そう思ったのがきっかけでした。
鏡を見るたびに「まだ大丈夫かな」「そろそろ染めたほうがいいかな」と髪の根本をチェックするクセがついていました。
染めるのをやめてみた時期もありますが「楽をする言い訳なのかな」「女を捨ててしまうことなのかな」と、そんなことはないと思いつつも、自信はなく不安でした。
そんな時に書店で出会ったのが、近藤サトさん著「グレイヘアと生きる」です。
とても綺麗なグレイヘアでかっこいいなというのが第一印象。
そして読みはじめてホッとしました。
「同じように考えている人はたくさんいるんだ。」
「思っていたこと、感じていたことは、間違っていなかったんだ。」と。
私に勇気と自信をくれた本。
同じようにこの本を読んで歳を重ねることを、楽しみに思う人も多いのではないでしょうか。
「お若いですね」より「あなたのように歳をとりたい」が嬉しい
若さにかんしては、がんばればがんばるほど、痛々しさを感じさせるもので、
〈中略〉
20代、30代、40代と、顔は確実に歳をとっていっているというのに、髪の色だけは変わることなく黒いままの写真が並んでいたのです。
(P41より)
永遠の若さはありません。
誰でも歳を重ねれば変化していきます。
それは外見であれ、内面であれ同じこと。
髪も歳をとります。
20代の頃の髪質と50代の髪質が全く違うのは見比べれば分かること。
髪色は簡単に染められても、ハリ・質感・うるおいを保つにはそれ相応のお金とエネルギーが必要です。
限りある時間を何に使うのか?
- 若さへの追求に使うのか
- 楽しみや勉強に使うのか
色々な考えがあって良いと思います。そして色々な選択肢があって良いと思います。
グレーヘアーで生きるのもその選択肢の中のひとつなのです。
グレイヘアは「リボーン」、再生をもたらす
老いに抗わず自然に生きるというと、老いを受け入れてグレイヘアにしたあとは、そのまま老化して朽ちていく。
そのようなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
〈中略〉
私はグレイヘアにしたことで新しく生まれ変わったような感覚を味わいましたし、実際、私の生活にさまざまな変化がおきたのでした。
(P64より)
しらがを染めない。若さに執着しない。ということは、決して「オバサン街道まっしぐら」や「生の終わりへのカウントダウン」ではありません。
ひとつの選択であり生き方です。
おしゃれを止めるのではありません。
今までとは違う新しいおしゃれを楽しむということ。
それは髪型であり、服の色であり、アクセサリーです。
そして髪質にも気を抜くわけにはいきません。
しらがだからこそボサボサ髪はNGだと思います。
- ズボラで染めないのか
- グレイヘアという染めない選択をしたのか
その違いは確実にあらわれると思っています。
人生に無駄な経験などひとつとしてない
50年間も生きていれば、つらい試練も経験したし、苦難も味わってきました。
〈中略〉
つらい経験であれ、恥ずかしい経験であれ、くやしい経験であれ、どのような経験もすべて血となり肉となって、いまの私という人間をつくりあげています。
つまり、人生に無駄な経験はいっさいない。そう思って生きています。
(P140より)
今の私がいるのは、過去の私が頑張ってくれたから。
生と死は紙一重です。そのような経験もしてきました。
だからこそ老いることを、歳を重ねることを、誇りに思いたいのだと思います。
しらがも勲章。隠したくない。大事にしたいと思う。
生きていれば何らかの刺激はあります。
泣いたり怒ったり、笑ったり喜んだり。
それらは全て人生の栄養素となります。
ファンデーションの断捨離も
【50歳をすぎたら、生活面でも「断捨離」を】ひとつでも、ふたつでもいいからやめるという「引き算」をすれば、日々の生活は思いのほか軽やかで、シンプルで、心地よいものになるかもしれません。
(P150より)
長年の習慣・惰性・義務感で続けていることはあります。
私もしらが染めを止める少し前にファンデーションも断捨離しました。
もともと肌呼吸が出来ない感じがあまり好きではありませんでした。
しかし、社会人として、女性として、身だしなみとして、外出する際には必ずするものだと思っていました。
しかし「今の私の生活スタイルに必要なのか?」と考えた時にファンデーションをしなくても問題ないように思い徐々に止めていきました。
ほうれい線で割れるファンデーションやTゾーンの化粧崩れを気にしなくても良いのは快適です。
ポイントメイクで眉毛と口紅だけの生活でも何の問題もありません。
グレイヘアもファンデーションの断捨離も、足し算ではなく引き算。
歳は重ねて(増えて)いるのだから、身の回りのものを減らすと丁度良いのかもしれません。
最後に:みんな一緒じゃなくていい
グレイヘアはひとつの選択肢です。
髪を染めることがいけないとは思わないし、いつまでも黒髪ではダメとも思いません。
若さを追求してももちろん良いと思います。
ただ、義務感ではなく自分が望んでやっているのかどうか。この一点です。
人生の折り返し地点も過ぎています。
しかめっ面で堅苦しく生きるより、笑顔でカジュアルがいいなと思います。